いつ改修できたのか―模型と原発の差2021年09月25日 10:23

 先日、細かい細工の必要な飛行機模型を作った。急いでいたので、バリをきれいに削らずに組み立てていたら、最後の段階になって、うまく差し込めない部品があり、バリを削りなおすために再組み立てを余儀なくされた。
 これは個人的な作業なので修正は容易である。
 では、原発ではどうだろうか。
 昨日のモーニングショーで国民民主党の玉木代表は、日本の原子力は「日米原子力協定に縛られているので原子力政策はよく考える必要がある」といった趣旨の発言をしていた。
 1960年代、日本は米国から原子炉を導入することを決めた。当時、土光敏夫は、その設計が日本に適合するかどうかをチェックしたいと米国に要請したらしい。しかし、米国からの返事は、もし、すこしでも設計変更するならば、日本には原発は供給しないというものであったそうだ。
 当時の米国の原発の配置設計は、竜巻は考慮しても、津波対応は出来ていなかったようだ。また、日本向けに設計変更するということは多大な労力を要する。ごく一部の変更であっても、プラントシステム全体への影響することはよくあることである。両国政府や電力会社の早く導入したいという思惑もあったであろう。米国の設計により、福島に建設されたのである。
 半世紀後、福島のプラントは竜巻には強いであろう地下に配置されていた非常用電源が、津波で水没し、炉心溶融事故を起こした。
 設計チェックがなされていれば事故を起こさなかったかどうかは分からないが、建設後に大津波の懸念があると分かったとしても、設計変更が容易でないことは想像できる。日本の官僚はいったん許可したものには間違いはないとする誤謬主義だったし、バックフィットという概念もない時代であった。
 また、電力としても、動かしたプラントを長期間停止させたり、変更したりする経済的ディメリットも非常に大きいものだったであろう。
 個人の模型作りとは比較にならないインパクトがある。
 この歴史的教訓を生かすならば、欧州で開発が進んでいる新エネルギー関連装置の導入についても、日本の風土にマッチしているのか、問題はないのかを良く吟味する必要がある。
 官僚の体質も、国民の知識レベルもそれほど変わっているとは思えないからである。