羽生結弦選手と地球温暖化防止2022年07月20日 04:05

 羽生選手が現役引退会見を行った。
 出身地仙台駅の西2キロの地点に青葉城のお濠の一部である五色沼がある。ここは、明治時代、来日した米国人が子供たちにスケートを教えたことから日本のフィギュアスケート発祥の地として知られている。確かに私の子供時代には皆ここでスケートをして楽しんでいた。当時の子供たちにとって、スケートと言えば、鉄のブレードを薄い金属板に固着し、ゴムバンドで足に締め付けられるようにした簡易スケートであり、それを金物屋から買ってきてゴム長靴に付けて遊んでいた。
 仙台駅の北3キロの地点には羽生選手の出身校東北高校があり、その東1キロの付近に農業用水として造成された与兵衛沼という一周一キロ程度の大きな沼がある。私もここで高校のスピードスケート選手と4回転半ではなく、4周半ほどここを回ったりして遊んだことがある。
 しかし仙台も温暖化が進み、ある春の日にその与兵衛沼の氷が割れ、東北高校のスケート選手が溺れて亡くなったことがあった。それ以来、子どもたちはその沼に近づかなくなっていった。確かに春先にあそこでスケートをするには、岸から氷まで飛び移る必要があった。この沼は今では、有名な心霊スポットだそうである。
 そして、仙台も都市化と温暖化が進行し、秋保温泉にあった屋外スケートリンクまでも無くなり、勝山スケートリンクなどの屋内リンクが建設されるようになっていった。
 子供たちは安心してスケートが楽しめるようになった。その中の一人、羽生選手として世界に翔いていった。

 オランダはスピードスケートで世界的選手を輩出している国である。聞いたところでは、あの縦横に巡らされた運河が冬には氷結し、そこで遊んでいた子供たちが厚い選手層を形作っていったそうである。オランダの運河も近年は氷結しなくなったためか、メダル数も伸び悩んでいるようだ。環境は子どもの成長を決定づける因子である。
 
 伊達政宗は引退後、仙台駅から南東2キロにある若林城を構築し、ここで、支倉常長遣欧使節団以来の海外交易再開を狙っていたらしい。一部で松尾芭蕉は幕府の隠密で東北地方の治安状況を調査したのが奥の細道だったという説があるが、確かに芭蕉は、当時の奥州街道を東に外れ、若林城付近を通って仙台城下に入った形跡がある。

 政宗公以上の世界的活躍をされてきた羽生選手には引退後、地球規模の問題である地球温暖化防止のための活動にも注力して頂きたいものである。
 その成果で昭和初期の気候が取り戻されれば、いつの日か、仙台の多くの子供たちが自由に広い場所で安心してスケートができるようになる。中には5回転ができる選手も生まれてくるのではないだろうか、期待したいところである。

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