写教による勉強方法の勧め2023年01月15日 06:31

 写経の書き間違いではない。この場合の写教は、教科書を書き写すことを意味する。

 何度読んでも理解できない教科書は、鉛筆で書き写すことで理解できるようになるーという仮説である。決してパソコンやスマホに打ち込んではいけない。

 写経では、意味の不明な経典を心静かに墨で書き写すようだが、何となく理解できるようにもなるのではないか。

 それと同様、写教では、分からなかった教科書のテキストが何となく理解できるようになるのである。なぜなら、一字一句書くことで、著者が教科書を書いた際の心理状況が読者の心の中に再現されるのである。そのため、使用されている用語や文脈の相互関係に注意が向かうようになり、文全体の理解ができるようになる。

 これは、一度やってみる価値がある。時間はかかるかもしれないが、理解できないよりは百倍マシである。理解するために教科書や学習というものはあるのだから。

 なお、時間の節約のためには、写教の際の文字をできるだけ小さくすること、鉛筆の硬さは柔らかく、濃いもの(デッサン用の太目のシャープペン等)が良いようだ。これだと鉛筆を削る手間が無いので思考が中断されることもない。

 ボールペンは滑らかすぎて書いたという実感が湧かない。自動運転車のように運転した実感が湧かないのと同様で、著者の心境に近づくことが難しいのであまりお勧めはできない。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://yokoyamashindo.asablo.jp/blog/2023/01/15/9555365/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。