なぜ田中碧の2点目は認められたか。 ― 2022年12月02日 07:04

グループリーグ突破、おめでとうニッポン。
テレビの映像では、三苫のカバーしたときに、ボールはすでにゴールラインを越えたように見えた。従来ならば、ゴールキックになっていた場面である。
そこで、サッカールールとVARの出番である。
「第9条 ボールインプレーおよびボールアウトオブプレー
1. ボールアウトオブプレー
ボールは、次のときにアウトオブプレーとなる。
・グラウンド上または空中で、ボールがゴールラインまたはタッチラインを完全に越えた。
・主審がプレーを停止した。
・ボールが審判員に触れ、競技のフィールド内にあり、次のようになった場合、
・チームが大きなチャンスとなる攻撃を始める。または、
・ボールが直接ゴールに入る。または、
・ボールを保持するチームが替わる。
こうしたすべてのケースでは、プレーは、ドロップボールによって再開される。」
このルールにより、三苫が触れた瞬間、ボールは完全にはゴールラインを越えていないとVARにて判断されたのである。
この数センチの差が天国と地獄の境界であった。
実はこのルールは得点でのボールとゴールラインの関係との整合性にある。図に示すように、ゴールのためには完全にボールがゴールラインを越えなければならない。ーということは、完全にゴールラインを越えなければまだインプレイの状態にあるということである。(素人の解説でした。)
これは、日本の勝利というよりもテクノロジーの勝利ともいえる試合であった。審判の目であればゴールキックになっていただろう。
ヒトはそれでも進化しているという証明の一部である。
ただし、FIFAにはこのVARシステムが第三者に侵入されて画像書き換えができないようデータを防護できるシステムの開発が要請されるであろう。これが日本ースペイン戦の技術上の教訓である。(年寄りの心配事)
テレビの映像では、三苫のカバーしたときに、ボールはすでにゴールラインを越えたように見えた。従来ならば、ゴールキックになっていた場面である。
そこで、サッカールールとVARの出番である。
「第9条 ボールインプレーおよびボールアウトオブプレー
1. ボールアウトオブプレー
ボールは、次のときにアウトオブプレーとなる。
・グラウンド上または空中で、ボールがゴールラインまたはタッチラインを完全に越えた。
・主審がプレーを停止した。
・ボールが審判員に触れ、競技のフィールド内にあり、次のようになった場合、
・チームが大きなチャンスとなる攻撃を始める。または、
・ボールが直接ゴールに入る。または、
・ボールを保持するチームが替わる。
こうしたすべてのケースでは、プレーは、ドロップボールによって再開される。」
このルールにより、三苫が触れた瞬間、ボールは完全にはゴールラインを越えていないとVARにて判断されたのである。
この数センチの差が天国と地獄の境界であった。
実はこのルールは得点でのボールとゴールラインの関係との整合性にある。図に示すように、ゴールのためには完全にボールがゴールラインを越えなければならない。ーということは、完全にゴールラインを越えなければまだインプレイの状態にあるということである。(素人の解説でした。)
これは、日本の勝利というよりもテクノロジーの勝利ともいえる試合であった。審判の目であればゴールキックになっていただろう。
ヒトはそれでも進化しているという証明の一部である。
ただし、FIFAにはこのVARシステムが第三者に侵入されて画像書き換えができないようデータを防護できるシステムの開発が要請されるであろう。これが日本ースペイン戦の技術上の教訓である。(年寄りの心配事)
日本がクロアチアに勝つ確率計算 ― 2022年12月02日 12:09

スペイン戦の勝率計算と同様の手順で、日本がクロアチアに勝つ確率の計算をしてみた。
うすいよしき氏のWC情報データサイト
https://note.com/yeahmen/n/n0e7b27f1a599
によれば、最近5回のワールドカップでの一試合当たり得点率は
クロアチア 1.295点(2012年を除く)
日本 1.034点
より最近の3大会では、
クロアチア 1.920点(2012年を除く)
日本 1.057点
で差は拡大している。
あるサッカーチームの平均得点をλとすると、任意の1試合でx点入る確率P(x)は次式のポアソン分布で表されることが経験的に分かっている。(11月23日のブログ記事参照)
P(x)=exp(-λ)*λ^x/x!
この式を用いて、日本とクロアチアの勝敗確率を評価した。
結果は、図にしめすように、最近3大会のデータを用いた場合、
クロアチアの勝率は約56%で、日本の勝率は約20%と厳しい。(残りはポアソン分布上はドローの確率だが、トーナメントなので、約66%と約33%程度になろう。)
ただ、本カタール大会での合計得点はクロアチア、日本共に4点である。この得点をポアソン分布の平均得点として計算すれば、両国は同じ勝敗確率になる。
まだまだ、勝てるチャンスはある。
うすいよしき氏のWC情報データサイト
https://note.com/yeahmen/n/n0e7b27f1a599
によれば、最近5回のワールドカップでの一試合当たり得点率は
クロアチア 1.295点(2012年を除く)
日本 1.034点
より最近の3大会では、
クロアチア 1.920点(2012年を除く)
日本 1.057点
で差は拡大している。
あるサッカーチームの平均得点をλとすると、任意の1試合でx点入る確率P(x)は次式のポアソン分布で表されることが経験的に分かっている。(11月23日のブログ記事参照)
P(x)=exp(-λ)*λ^x/x!
この式を用いて、日本とクロアチアの勝敗確率を評価した。
結果は、図にしめすように、最近3大会のデータを用いた場合、
クロアチアの勝率は約56%で、日本の勝率は約20%と厳しい。(残りはポアソン分布上はドローの確率だが、トーナメントなので、約66%と約33%程度になろう。)
ただ、本カタール大会での合計得点はクロアチア、日本共に4点である。この得点をポアソン分布の平均得点として計算すれば、両国は同じ勝敗確率になる。
まだまだ、勝てるチャンスはある。
堤防上の自転車が一般道の自動車より危険なワケ ― 2022年12月03日 15:22
先日堤防を整備した歩行者・自転車共用道路の上を歩いていたら後ろからスポーツタイプの自転車が「アブナイヨ」と声を掛けながら時速30キロ位の速度で追い越していった。
ナニがどうアブナイのか、考えてみた。
サイクリストにとってはウロウロしている歩行者が危ないのだろうが、歩行者にとっては、自転車が危ない存在である。自転車は音もなく高速で近づいて来る。気が付かないので、周りの景色に見とれて急に動いたりする。サイクリスト側はそれが危険だと映る。
車の場合、30キロも出せば、タイヤ音がかなりするので、プリウス等のEV走行であっても近づくのは分かる。しかし、自転車は音もなく地近づき、歩行者は気が付くことは出来ない。歩行者は堤防上の道が歩行者優先と書いてあるので周りの景色に気を取られて、一般道の歩道のような気を使うこともない。
従って、自転車のほうが、車よりも危険な存在になるのである。
これを防ぐにはどうすればよいか。それは自転車が徐行と言えない速度、即ち時速15キロを越えたらかつてのプリウスのように自動的に音が出る装置を付けることを義務付ければよいのである。
なお、道交法では、この衝突を防ぐために、歩行者の1メートル以内を通過する車両は徐行しなければならないことになっている。しかし、堤防上であれ、歩道上であれ、サイクリストがそのような道交法の規則を守っていることはまれであるし、徐行ばかりしたらサイクリングが楽しめなくなる。
従って、自動音声発生装置が義務付けられるまでは、歩行者は自転車が高速で後ろから来ることが予測される場合、長さ1メートルの杖を回しながら歩くのがお互いのためだろう。
私も長さを1メートルに調整できるスキー用のストックを持っているので、これからあの堤防の道を歩くときはストックを持ち歩こうと思う。先端に金属製の石突がついているが、サイクリストの太ももを切らないようにプロテクターは忘れないようにしたい。
ナニがどうアブナイのか、考えてみた。
サイクリストにとってはウロウロしている歩行者が危ないのだろうが、歩行者にとっては、自転車が危ない存在である。自転車は音もなく高速で近づいて来る。気が付かないので、周りの景色に見とれて急に動いたりする。サイクリスト側はそれが危険だと映る。
車の場合、30キロも出せば、タイヤ音がかなりするので、プリウス等のEV走行であっても近づくのは分かる。しかし、自転車は音もなく地近づき、歩行者は気が付くことは出来ない。歩行者は堤防上の道が歩行者優先と書いてあるので周りの景色に気を取られて、一般道の歩道のような気を使うこともない。
従って、自転車のほうが、車よりも危険な存在になるのである。
これを防ぐにはどうすればよいか。それは自転車が徐行と言えない速度、即ち時速15キロを越えたらかつてのプリウスのように自動的に音が出る装置を付けることを義務付ければよいのである。
なお、道交法では、この衝突を防ぐために、歩行者の1メートル以内を通過する車両は徐行しなければならないことになっている。しかし、堤防上であれ、歩道上であれ、サイクリストがそのような道交法の規則を守っていることはまれであるし、徐行ばかりしたらサイクリングが楽しめなくなる。
従って、自動音声発生装置が義務付けられるまでは、歩行者は自転車が高速で後ろから来ることが予測される場合、長さ1メートルの杖を回しながら歩くのがお互いのためだろう。
私も長さを1メートルに調整できるスキー用のストックを持っているので、これからあの堤防の道を歩くときはストックを持ち歩こうと思う。先端に金属製の石突がついているが、サイクリストの太ももを切らないようにプロテクターは忘れないようにしたい。
確率計算のできる野球とできないサッカー ― 2022年12月04日 08:10
さんざんポアソン分布を用いて、勝敗確率を計算してきたのでこんなことを言うと叱られそうだが、野球とサッカーの大きな差は確率計算が有効かどうかであろう。野村監督は確率を上げることで三冠王や優勝監督に数回なった。そのノートは確率を上げることに費やされていた。
野球で可能なのにサッカーで難しいのは何故なのか。
結論から言えば、野球が2体問題であるのに対し、サッカーは3体問題だからである。3体問題は物理学で今でも予測計算ができない問題である。
野球の勝負の基本は、ピッチャーとバッターの二人の体が勝負をする問題である。ボールとバットもあるがそれは二人の従属変数であり、自由度はない。他の選手はほぼ静止しているので勝負には関係が無い。
一方、サッカーは、本大会での得点シーンを見ても分かるように、ストライカーとキーパーよりも重要なのが、アシストである。アシストが如何にストライカーにパスするかで得点できるかどうかが決まる。即ち、三つのBODYが関わっている三体問題なのである。これは、原理的に物理学的計算は出来ない。それゆえにサッカーの得点は予測計算ができないということになる。
サッカーで予測計算できるのは、ストライカーのドリブル突破力が強く、キーパーと一対一対決が容易にできる状況が作れる選手の場合である。一対一になれば、野球に比べサッカーはストライクゾーンが広い。それができるのがマラドーナやメッシなのだろう。三苫選手もドリブル突破力があるので、そのような選手に化ける可能性がある。今後4試合でそれが現実になれば、日本の世界一も夢ではない。
野球で可能なのにサッカーで難しいのは何故なのか。
結論から言えば、野球が2体問題であるのに対し、サッカーは3体問題だからである。3体問題は物理学で今でも予測計算ができない問題である。
野球の勝負の基本は、ピッチャーとバッターの二人の体が勝負をする問題である。ボールとバットもあるがそれは二人の従属変数であり、自由度はない。他の選手はほぼ静止しているので勝負には関係が無い。
一方、サッカーは、本大会での得点シーンを見ても分かるように、ストライカーとキーパーよりも重要なのが、アシストである。アシストが如何にストライカーにパスするかで得点できるかどうかが決まる。即ち、三つのBODYが関わっている三体問題なのである。これは、原理的に物理学的計算は出来ない。それゆえにサッカーの得点は予測計算ができないということになる。
サッカーで予測計算できるのは、ストライカーのドリブル突破力が強く、キーパーと一対一対決が容易にできる状況が作れる選手の場合である。一対一になれば、野球に比べサッカーはストライクゾーンが広い。それができるのがマラドーナやメッシなのだろう。三苫選手もドリブル突破力があるので、そのような選手に化ける可能性がある。今後4試合でそれが現実になれば、日本の世界一も夢ではない。
ペナルティキック戦の確率分析と「間」の取り方 ― 2022年12月06日 09:06
https://www.footballista.jp/news/115380
によれば、大試合でのPKの成功確率は平均70%と意外に低い。
しかし、今回、4本中3本外したので、その状況となる確率は、二項分布の公式により、
4C3×0.3^3×0.7=4!/3!×0.0189=0.0756
であり、約8%の事象が起こったことになる。
4本が4本とも0.7の確率で成功する場合は、
4C4×0.7^4=0.2401
で、24%。このようにすべて成功するのはやや難しい。
クロアチアのように4本中3本が成功する確率が最大であり、
4C3×0.7^3×0.3=4×0.1029=0.4116
となり、約41%である。
この程度の確率が日本にも期待したいところだった。
この課題については、サッカー関係者の間でもいろいろ検討されているようだ。
思い出すのは、ジュビロ磐田の遠藤保仁選手である。
弱く当てているように見えるが、必ず、PKを決めるのである。
その秘訣は、キーパーの動きを一瞬見てから蹴りだすということだけである。その一瞬の間を待てないのが普通の選手だということだろう。
確かに、キーパーの動きと逆方向に打ちさえすればほぼシュートは決まる。逆に、キーパーに打ち込む方向が読まれてしまえば、ほぼ失敗に終わる。クロアチア戦では、少なくとも日本選手二人はキーパーに読まれてしまったということになる。
遠藤保仁選手の間を取るコツを日本代表はどこまでマスターしていたのだろうか。疑問の余地が残るところであり、今後、8強に残るための希望の種ともなるところだろう。
間をとるのは落語や古典芸能で鍛えてきた日本の得意技のはずだ。今後に期待したい。
によれば、大試合でのPKの成功確率は平均70%と意外に低い。
しかし、今回、4本中3本外したので、その状況となる確率は、二項分布の公式により、
4C3×0.3^3×0.7=4!/3!×0.0189=0.0756
であり、約8%の事象が起こったことになる。
4本が4本とも0.7の確率で成功する場合は、
4C4×0.7^4=0.2401
で、24%。このようにすべて成功するのはやや難しい。
クロアチアのように4本中3本が成功する確率が最大であり、
4C3×0.7^3×0.3=4×0.1029=0.4116
となり、約41%である。
この程度の確率が日本にも期待したいところだった。
この課題については、サッカー関係者の間でもいろいろ検討されているようだ。
思い出すのは、ジュビロ磐田の遠藤保仁選手である。
弱く当てているように見えるが、必ず、PKを決めるのである。
その秘訣は、キーパーの動きを一瞬見てから蹴りだすということだけである。その一瞬の間を待てないのが普通の選手だということだろう。
確かに、キーパーの動きと逆方向に打ちさえすればほぼシュートは決まる。逆に、キーパーに打ち込む方向が読まれてしまえば、ほぼ失敗に終わる。クロアチア戦では、少なくとも日本選手二人はキーパーに読まれてしまったということになる。
遠藤保仁選手の間を取るコツを日本代表はどこまでマスターしていたのだろうか。疑問の余地が残るところであり、今後、8強に残るための希望の種ともなるところだろう。
間をとるのは落語や古典芸能で鍛えてきた日本の得意技のはずだ。今後に期待したい。
PK戦への対処について ― 2022年12月07日 05:20
今大会では、あのスペインもPK戦でモロッコに敗れた。
PK戦の重要性が改めて認識できる。
日本代表はそのスペインも撃破したのだから十分賞賛に値する。
森保監督はPK戦の準備が十分でなかったとコメントしているようだが、そこまで要求するのは酷というものだろう。
部外者としては、気楽に、再度PK戦について調査してみた。
https://www.soccer-king.jp/news/world/wc/20180630/786746.html
によれば、ロシア大会のベスト16か国の中で、PK戦を経験したのは12か国である。即ち、ベスト16に入れば、75%はPK戦を戦うことになる。
WCでのPK戦は1982年からスタートした比較的歴史の新しいシステムである。
それでも、ブラジル、アルゼンチンなど強国であってもすべてがPK戦をWCで経験している。即ち、日本もこれからはPK戦の常連国になるということである。
では、どのようにPK戦の練習をしていけばいいのだろうか。
良くあるコメントは、PK戦とはメンタルの勝負だというあいまいな表現である。統計的には、キーパーに対するシュートの方向で成功確率は多少異なるが、それを裏読みする力の差で実際のPK戦の勝負がきまるようだ。
では、キッカーとキーパーのそれぞれに対し、どのような戦略を立てて今後の4年間を過ごせばよいか。
まず、キッカーについては、昨日記事の保仁選手の間を取れるような練習が第一だが、それができなければ、相手キーパーに対して心理が読まれないよう、顔を伏せながらポーカーフェイスで蹴ることができる練習をするべきだろう。
キーパーについては、相手が蹴ってから動き出すというよりも、動いてから逆方向に動くといった、相手を惑わす心理戦についての様々なテクニックを持っていることが重要だろう。
他にも多くの戦略があるだろうが、スポーツ心理学の点から、野球での投球データの分析が役に立つだろう。
PK戦の重要性が改めて認識できる。
日本代表はそのスペインも撃破したのだから十分賞賛に値する。
森保監督はPK戦の準備が十分でなかったとコメントしているようだが、そこまで要求するのは酷というものだろう。
部外者としては、気楽に、再度PK戦について調査してみた。
https://www.soccer-king.jp/news/world/wc/20180630/786746.html
によれば、ロシア大会のベスト16か国の中で、PK戦を経験したのは12か国である。即ち、ベスト16に入れば、75%はPK戦を戦うことになる。
WCでのPK戦は1982年からスタートした比較的歴史の新しいシステムである。
それでも、ブラジル、アルゼンチンなど強国であってもすべてがPK戦をWCで経験している。即ち、日本もこれからはPK戦の常連国になるということである。
では、どのようにPK戦の練習をしていけばいいのだろうか。
良くあるコメントは、PK戦とはメンタルの勝負だというあいまいな表現である。統計的には、キーパーに対するシュートの方向で成功確率は多少異なるが、それを裏読みする力の差で実際のPK戦の勝負がきまるようだ。
では、キッカーとキーパーのそれぞれに対し、どのような戦略を立てて今後の4年間を過ごせばよいか。
まず、キッカーについては、昨日記事の保仁選手の間を取れるような練習が第一だが、それができなければ、相手キーパーに対して心理が読まれないよう、顔を伏せながらポーカーフェイスで蹴ることができる練習をするべきだろう。
キーパーについては、相手が蹴ってから動き出すというよりも、動いてから逆方向に動くといった、相手を惑わす心理戦についての様々なテクニックを持っていることが重要だろう。
他にも多くの戦略があるだろうが、スポーツ心理学の点から、野球での投球データの分析が役に立つだろう。
生物学的性と心理学的性の不整合は何故生じるのか ― 2022年12月08日 11:49
12月7日の日テレニュースによれば、
「性別変更の要件として、生殖機能をなくす手術が必要とされていることが、憲法に違反するかどうか争われている裁判で、最高裁は7日、審理を大法廷に回付しました。これまで「合憲」とされてきた手術の規定について、改めて憲法判断が示される見通しです。
性同一性障害特例法では、性別を変更する要件として、「結婚していないこと」や「生殖機能を失っていること」などが定められています。
性同一性障害と診断され、今回、裁判所に申し立てを行った戸籍上の男性は、女性への性別変更を求めましたが、生殖機能をなくす手術を受けていないことを理由に、1審・2審ともに性別変更が認められませんでした。
これを不服として特別抗告していましたが、最高裁は7日、審理を大法廷に回付しました。
申し立てを行った戸籍上の男性側は、「性別変更の条件として外科手術という重い負担を課すことは、憲法に違反する」などと主張しています。
最高裁は2019年、手術の規定について「合憲」との判断を示していますが、改めて憲法判断が示される見通しです。」
とのことである。
ネットの意見では、大部分がこの手術は受け入れるべきであるという現状維持派が圧倒的である。
代表的な意見は、浴場やトイレで、見た目が異性の人間が自認する性に従って、合法的に侵入されたら困ることになるということである。これを利用すれば性犯罪の温床にもなり得るという観点もある。
生物の歴史において、有性生殖生物が現れたのは、比較的最近のことである。二河成男「生物の進化と多様化の科学」、放送大学教育振興会(2017)第14章によれば、有性生殖が無性生殖に対して有利な点は環境変化に強い点などだが、遺伝子を残すには手間がかかりすぎるという欠点もあり、有性生殖が進化形態だという根拠はない。
生物のDNAには、無性生殖期における遺伝子蓄積のほうが圧倒的に多いのだから、ヒトの胚発生においても、その後の成長においても性が常に多数派の通りの発現をするとは限らない。即ち、性的少数者の発現は生物の進化を体現しているということになる。性同一性障害は、脳における性発現の少数者ということであろう。また、所謂半陰陽は臓器部分の性発現の少数者ということになる。これらの少数者を、多数派のヒトのオス、メスが共同体生活のために、生命にも関わる可能性がある手術を強制できるのかという、自由と民主主義の根幹に触れる問題となる。
これが、最高裁大法廷に回付された理由だろう。
今回の裁判の争点は、性別変更の必要条件に、生殖機能の喪失手術を受けなければならないかという点ではあるが、もう少し広い目で性別とは何かを考察してみた。
日々の生活を振り返ると、性別を必要とする場面はそれほど多くはない。浴場、トイレなど、衣服を脱がざるを得ない場面程度ではないか。
スポーツでは競争するための公平性確保のために、性別を便宜的に使っているが、競艇など男女の区別のない競技もある。IOCはトランスジェンダーに対し、ホルモン制限などいくつかの対策を示しているが、公平性確保というならば、パラリンピックのように障害?のレベルに合わせて細かく性区分を設ける方向で解決できるはずである。男女だけに区分を設けているのが問題の根源にある。それは生物学的に正しい区分とは言えないとだけのことである。
振り返って、浴場、トイレの点に話を戻すと、これをひとまとめにしているコメントがネットには多い。実際には全く異なる問題である。浴場は入らなければ社会生活ができないということはない。宿泊施設でも大浴場以外の一人風呂は普通にあるので、各自が常識に合わせればよいだけである。性同一性障害の人は個人の認識に合わせ、公序良俗に従えばよいだけである。自認する性に合わるために公序良俗に反するようなことをする必要はないはずである。
(なお、ある地方都市の日帰り温泉では、受付において、男女を見た目で区別して、男子又は女子の浴室のロッカーキーを渡していた。見た目だけでどうして区別できるのか常々不思議に思っていたが、先日、謎が解けた。やはり、時々客から男女を間違っているとクレームがつくそうである。)
一方、トイレはやや問題が複雑である。欧米では、トランスジェンダーも考慮し、男女の区別をなくしたトイレもあるようだ。また、日本でも小さな居酒屋はトイレが一か所だけなので、区別しようがない。居酒屋で女性の直後に同じトイレに入るのは多少気まずい気はするが。
逆に、中途半端に男女の区別のある公共トイレが問題である。しかし、多少気まずいだろうが、トランスジェンダーの方は自分の好みと公序良俗に従い、問題が生じないと思われるほうのトイレに入り、その場で必要なら個室に入るのはどうだろうか。この程度の制約を受け入れるということで共同生活と性同一性問題の両立を図れるのではないだろうか。
見た目の男女の区別をする必要が無いのであれば、性別変更における手術は不要である。また、最高裁で問題となっている性同一性障害特例法の生殖機能喪失に関する手術規定は、法律上、女となった生物学上の男が子を女との結婚で設けた場合の社会的混乱を心配するものであろう。しかし、いまでも婚外子は生まれており、フランスでは女同士が子供を実子として育てる例もある。21世紀の現在、修正すべきは法律のほうであろう。
真の問題は、社会生活のいろいろな場面で男女差別があることである。男女が、或いは、性的少数者が社会的に同等となれば、子育てをするカップルが、男と女であろうと、少数者の性別区分の二人であろうと、実質的な不都合がない社会に移行できることにる。それが長い生物学的歴史を抱え、発生学上の性的問題を抱えながら、少数者も含む自由と民主主義を両立させるべきヒト社会の進化の道である。
「性別変更の要件として、生殖機能をなくす手術が必要とされていることが、憲法に違反するかどうか争われている裁判で、最高裁は7日、審理を大法廷に回付しました。これまで「合憲」とされてきた手術の規定について、改めて憲法判断が示される見通しです。
性同一性障害特例法では、性別を変更する要件として、「結婚していないこと」や「生殖機能を失っていること」などが定められています。
性同一性障害と診断され、今回、裁判所に申し立てを行った戸籍上の男性は、女性への性別変更を求めましたが、生殖機能をなくす手術を受けていないことを理由に、1審・2審ともに性別変更が認められませんでした。
これを不服として特別抗告していましたが、最高裁は7日、審理を大法廷に回付しました。
申し立てを行った戸籍上の男性側は、「性別変更の条件として外科手術という重い負担を課すことは、憲法に違反する」などと主張しています。
最高裁は2019年、手術の規定について「合憲」との判断を示していますが、改めて憲法判断が示される見通しです。」
とのことである。
ネットの意見では、大部分がこの手術は受け入れるべきであるという現状維持派が圧倒的である。
代表的な意見は、浴場やトイレで、見た目が異性の人間が自認する性に従って、合法的に侵入されたら困ることになるということである。これを利用すれば性犯罪の温床にもなり得るという観点もある。
生物の歴史において、有性生殖生物が現れたのは、比較的最近のことである。二河成男「生物の進化と多様化の科学」、放送大学教育振興会(2017)第14章によれば、有性生殖が無性生殖に対して有利な点は環境変化に強い点などだが、遺伝子を残すには手間がかかりすぎるという欠点もあり、有性生殖が進化形態だという根拠はない。
生物のDNAには、無性生殖期における遺伝子蓄積のほうが圧倒的に多いのだから、ヒトの胚発生においても、その後の成長においても性が常に多数派の通りの発現をするとは限らない。即ち、性的少数者の発現は生物の進化を体現しているということになる。性同一性障害は、脳における性発現の少数者ということであろう。また、所謂半陰陽は臓器部分の性発現の少数者ということになる。これらの少数者を、多数派のヒトのオス、メスが共同体生活のために、生命にも関わる可能性がある手術を強制できるのかという、自由と民主主義の根幹に触れる問題となる。
これが、最高裁大法廷に回付された理由だろう。
今回の裁判の争点は、性別変更の必要条件に、生殖機能の喪失手術を受けなければならないかという点ではあるが、もう少し広い目で性別とは何かを考察してみた。
日々の生活を振り返ると、性別を必要とする場面はそれほど多くはない。浴場、トイレなど、衣服を脱がざるを得ない場面程度ではないか。
スポーツでは競争するための公平性確保のために、性別を便宜的に使っているが、競艇など男女の区別のない競技もある。IOCはトランスジェンダーに対し、ホルモン制限などいくつかの対策を示しているが、公平性確保というならば、パラリンピックのように障害?のレベルに合わせて細かく性区分を設ける方向で解決できるはずである。男女だけに区分を設けているのが問題の根源にある。それは生物学的に正しい区分とは言えないとだけのことである。
振り返って、浴場、トイレの点に話を戻すと、これをひとまとめにしているコメントがネットには多い。実際には全く異なる問題である。浴場は入らなければ社会生活ができないということはない。宿泊施設でも大浴場以外の一人風呂は普通にあるので、各自が常識に合わせればよいだけである。性同一性障害の人は個人の認識に合わせ、公序良俗に従えばよいだけである。自認する性に合わるために公序良俗に反するようなことをする必要はないはずである。
(なお、ある地方都市の日帰り温泉では、受付において、男女を見た目で区別して、男子又は女子の浴室のロッカーキーを渡していた。見た目だけでどうして区別できるのか常々不思議に思っていたが、先日、謎が解けた。やはり、時々客から男女を間違っているとクレームがつくそうである。)
一方、トイレはやや問題が複雑である。欧米では、トランスジェンダーも考慮し、男女の区別をなくしたトイレもあるようだ。また、日本でも小さな居酒屋はトイレが一か所だけなので、区別しようがない。居酒屋で女性の直後に同じトイレに入るのは多少気まずい気はするが。
逆に、中途半端に男女の区別のある公共トイレが問題である。しかし、多少気まずいだろうが、トランスジェンダーの方は自分の好みと公序良俗に従い、問題が生じないと思われるほうのトイレに入り、その場で必要なら個室に入るのはどうだろうか。この程度の制約を受け入れるということで共同生活と性同一性問題の両立を図れるのではないだろうか。
見た目の男女の区別をする必要が無いのであれば、性別変更における手術は不要である。また、最高裁で問題となっている性同一性障害特例法の生殖機能喪失に関する手術規定は、法律上、女となった生物学上の男が子を女との結婚で設けた場合の社会的混乱を心配するものであろう。しかし、いまでも婚外子は生まれており、フランスでは女同士が子供を実子として育てる例もある。21世紀の現在、修正すべきは法律のほうであろう。
真の問題は、社会生活のいろいろな場面で男女差別があることである。男女が、或いは、性的少数者が社会的に同等となれば、子育てをするカップルが、男と女であろうと、少数者の性別区分の二人であろうと、実質的な不都合がない社会に移行できることにる。それが長い生物学的歴史を抱え、発生学上の性的問題を抱えながら、少数者も含む自由と民主主義を両立させるべきヒト社会の進化の道である。
県公安委員会は左折信号を右折信号より1秒遅れて出すべきだ ― 2022年12月09日 06:14
11月11日に下記の交通事故未遂についての記事を書いた。
「環状2号と横浜上麻生線の交差点である。夜7時であり、すでに暗くなっていた。私は環状2号の右折車線におり、右折信号がでたので、右折を開始したのであるが、その瞬間、交差する上麻生線側からバイクが飛び出してきて、目の前を通り過ぎて行った。その瞬間、ブレーキを2度踏みし、衝突、追突を防いだ。あと0.5秒、右側からのバイクに気づかなかったら悲劇的な事故になっていたであろう。バイクの速度は既に30キロにはなっていただろうから。」
この未遂事故の原因が分かった。
バイクの運転者は赤で飛び出したと思っていたのだが、実はバイクは青信号だと信じていたのである。
その理由は、2点ある。
一つは、環状2号線が右折信号に変わると同時に、横浜上麻生線の方は、左折信号の表示が出るのである。この左折信号の存在に、最近気が付いた。
二つ目は、バイクは信号待ちでは隣の車と同時に発進し先に進もうとする傾向があることである。
この状況で、真ん中の車線にいたバイクの運転者は 左隣の車線の車が左折のために発進しだした途端、正面が青になったと勘違いし、赤信号で直進したーと推定できる。それで、あれだけの速度で右折を始めた私の目の前を通り過ぎて行ったのである。
交差点は危険な場所である。バイクや自転車、歩行者は車と衝突したら簡単に重傷以上のケガを負う可能性が強い。やはり、青信号ではまず止まるという感覚が重要であることを認識した。
このような勘違い事故を防ぐために、公安委員会は、左折信号を交差する右折信号よりも1秒遅れて出すように警察に指示すべきだ。このような信号コントロールは簡単にできる。
現に、歩行者の安全を守るため、ある交差点では、歩行者用青信号を並行する道路の車用の青信号よりも1秒早く出でるように調整されている。
「環状2号と横浜上麻生線の交差点である。夜7時であり、すでに暗くなっていた。私は環状2号の右折車線におり、右折信号がでたので、右折を開始したのであるが、その瞬間、交差する上麻生線側からバイクが飛び出してきて、目の前を通り過ぎて行った。その瞬間、ブレーキを2度踏みし、衝突、追突を防いだ。あと0.5秒、右側からのバイクに気づかなかったら悲劇的な事故になっていたであろう。バイクの速度は既に30キロにはなっていただろうから。」
この未遂事故の原因が分かった。
バイクの運転者は赤で飛び出したと思っていたのだが、実はバイクは青信号だと信じていたのである。
その理由は、2点ある。
一つは、環状2号線が右折信号に変わると同時に、横浜上麻生線の方は、左折信号の表示が出るのである。この左折信号の存在に、最近気が付いた。
二つ目は、バイクは信号待ちでは隣の車と同時に発進し先に進もうとする傾向があることである。
この状況で、真ん中の車線にいたバイクの運転者は 左隣の車線の車が左折のために発進しだした途端、正面が青になったと勘違いし、赤信号で直進したーと推定できる。それで、あれだけの速度で右折を始めた私の目の前を通り過ぎて行ったのである。
交差点は危険な場所である。バイクや自転車、歩行者は車と衝突したら簡単に重傷以上のケガを負う可能性が強い。やはり、青信号ではまず止まるという感覚が重要であることを認識した。
このような勘違い事故を防ぐために、公安委員会は、左折信号を交差する右折信号よりも1秒遅れて出すように警察に指示すべきだ。このような信号コントロールは簡単にできる。
現に、歩行者の安全を守るため、ある交差点では、歩行者用青信号を並行する道路の車用の青信号よりも1秒早く出でるように調整されている。
いま日本に最も必要なことは地震対策ではなかったのか ― 2022年12月10日 11:14
コロナやウクライナ戦争、ワールドカップ、円安で明け暮れた2022年、忘年会をやっても地震対策の話は出てこない。
今朝も家の本棚が揺れた。マンションなのだが、かなり立て付けの悪い本棚のガラス戸が、隣県で震度1以下でもカタカタと振動し、微小地震を教えてくれる。ここ数日、また、微小地震が増えている感じだ。
以前から言われているように首都圏直下型地震は周期的に起こる。大正も昭和も遠くなった。ということは首都直下型地震の確率が増大していることと同じである。
地震そのものよりも、その後の物流や情報の混乱による被害の方がずっと大きくなるはずである。東日本大震災では大型トラックの通行が可能になるまでに2週間以上掛かっている。
首都圏の2千万人のための物流が2週間ストップしたら、かなりの健康被害が出るだろう。それよりも、政府、自治体の機能の殆どが暫くは働かないことを覚悟しておく必要がある。その混乱は、関東大震災以上のものになる。人口は東京、横浜とも5倍以上に増加しているが、道路面積は大きく変わってはいない。またそれも地震で大被害を受け、少なくとも1か月は十分機能しないであろう。
頼みの綱は新幹線だけだろう。しかし、神奈川県内で高架が一部でも破損したら、「のぞみ」は絶たれる。首都圏の人間はほぼ移動手段も、食料も絶たれたまま、1か月暮らすことになる。
最も大変なのは、水がないことである。そのためにトイレが使えない。
最近は殆どが水洗なので、水なしでは使用不可能である。たとえ風呂にお湯をためてあっても、各家庭のトイレは数日で使用不可能になるはずである。トイレの洗浄には従来型トイレで一日一人当たり20リットルは必要であることがある民宿での水汲みで実証できた。必要な飲み水の10倍である。
想像するにも困難な事態が首都圏住民には待ち受けている。生き延びられる可能性は、関東大震災時よりも一桁小さくなっているだろう。
では、どうするか。簡単な解は、数十年前に議論だけは盛んだった首都移転である。少なくとも、政治と経済の中心は分離したい。簡単なのは、官公庁や大企業の本社が米国のように地方都市に移転することである。
コロナ禍で、殆どのソフト的作業はリモートワークが可能なことが実証されている。政治に求められるのは、官公庁をすべてリモートワークにするよう、そして、勤務先をバーチャルにするよう法改正することである。
ネックとなるのは政治家への官僚からのレクチャーと国会質疑対応である。政治家はリモートワークができないと思い込んでいる。また、対面でしか交渉したことがないので面倒くさいとも思っている。
岸田政権が人気を回復したいのであれば、デジタル庁などという見通しが付かないことを推進するよりも、官公庁を地方都市に移転するように動くことである。そうすれば、関連する企業群の本社も地方都市に移転できる。
京都や横浜にごくわずかだが官公庁の一部が移転したことがあるのだから、組織の本体も決断しだいで移転可能だ。何なら、おひざ元の広島でも良い。できるだけ、関東地方から離れることで日本の安全性が大幅に向上でき、歴史にも名を残せる宰相になれるだろう。
今朝も家の本棚が揺れた。マンションなのだが、かなり立て付けの悪い本棚のガラス戸が、隣県で震度1以下でもカタカタと振動し、微小地震を教えてくれる。ここ数日、また、微小地震が増えている感じだ。
以前から言われているように首都圏直下型地震は周期的に起こる。大正も昭和も遠くなった。ということは首都直下型地震の確率が増大していることと同じである。
地震そのものよりも、その後の物流や情報の混乱による被害の方がずっと大きくなるはずである。東日本大震災では大型トラックの通行が可能になるまでに2週間以上掛かっている。
首都圏の2千万人のための物流が2週間ストップしたら、かなりの健康被害が出るだろう。それよりも、政府、自治体の機能の殆どが暫くは働かないことを覚悟しておく必要がある。その混乱は、関東大震災以上のものになる。人口は東京、横浜とも5倍以上に増加しているが、道路面積は大きく変わってはいない。またそれも地震で大被害を受け、少なくとも1か月は十分機能しないであろう。
頼みの綱は新幹線だけだろう。しかし、神奈川県内で高架が一部でも破損したら、「のぞみ」は絶たれる。首都圏の人間はほぼ移動手段も、食料も絶たれたまま、1か月暮らすことになる。
最も大変なのは、水がないことである。そのためにトイレが使えない。
最近は殆どが水洗なので、水なしでは使用不可能である。たとえ風呂にお湯をためてあっても、各家庭のトイレは数日で使用不可能になるはずである。トイレの洗浄には従来型トイレで一日一人当たり20リットルは必要であることがある民宿での水汲みで実証できた。必要な飲み水の10倍である。
想像するにも困難な事態が首都圏住民には待ち受けている。生き延びられる可能性は、関東大震災時よりも一桁小さくなっているだろう。
では、どうするか。簡単な解は、数十年前に議論だけは盛んだった首都移転である。少なくとも、政治と経済の中心は分離したい。簡単なのは、官公庁や大企業の本社が米国のように地方都市に移転することである。
コロナ禍で、殆どのソフト的作業はリモートワークが可能なことが実証されている。政治に求められるのは、官公庁をすべてリモートワークにするよう、そして、勤務先をバーチャルにするよう法改正することである。
ネックとなるのは政治家への官僚からのレクチャーと国会質疑対応である。政治家はリモートワークができないと思い込んでいる。また、対面でしか交渉したことがないので面倒くさいとも思っている。
岸田政権が人気を回復したいのであれば、デジタル庁などという見通しが付かないことを推進するよりも、官公庁を地方都市に移転するように動くことである。そうすれば、関連する企業群の本社も地方都市に移転できる。
京都や横浜にごくわずかだが官公庁の一部が移転したことがあるのだから、組織の本体も決断しだいで移転可能だ。何なら、おひざ元の広島でも良い。できるだけ、関東地方から離れることで日本の安全性が大幅に向上でき、歴史にも名を残せる宰相になれるだろう。
マニュアルモードの方がスリップが防げるわけ ― 2022年12月12日 07:09
あるイタリアの知人が、アルプス越えでスキーに行くのに、ノーマルタイヤでチェーン無しでもOKだという。何故か。
当時、欧州車はマニュアルが普通だった。それが理由だろう。
マニュアル車はエンジンとタイヤが常に直結している。即ち、加速しているか、エンジンブレーキが掛かっているかのどちらかという状態にコントロールができるわけである。
加速しているときは常にタイヤから雪面に後ろ向きの力がかかる。そのため、坂道を登っているのと同様にスリップしにくい。(急坂ではスリップすることになるが、それ以外ではスリップしにくい。)
エンジンブレーキが掛かった状態とはどういう状態か。
これは、タイヤに前向きの方向(転がる方向と逆方向)に力がかかる状態である。即ち、車体の減速加速度による力が、シリンダー内のガス圧縮力に変換され、タイヤを通して雪面に前向きの力を与える状態になる。この状態も雪面にタイヤを押し付けていることになるのでスリップしにくいことになる。
これら二つの中間の状態、即ち、加速も減速もしない状態が一番スリップしやすい。それは平坦な直線路で行えばよい。
多分、このようなテクニックでノーマルタイヤの雪道走行が可能になっているのであろう。
幸い、今所有している車は、マニュアルモードが付いている。エンジンとタイヤが直結状態にできるはずである。今度雪道を走る際はマニュアルモードを多用しようと思う。
このような走行は氷結路ではどの程度有効なのだろうか。
以前、富士山の氷結路で、車体姿勢装置の付いた四駆のスタッドレスでスピンしたことがある。完全氷結の場合はどうやってもスリップするそうだ。
そのような路面では旭川市の市街地のようにスタッドレスでも、平坦地であっても低速走行する以外に解はないように思う。ただ、マニュアルならノーマルでもスリップしにくいとは思うが、交通違反になるので、スタッドレスでマニュアルというのが最適解ということだろう。
そのために、今からマニュアル運転になれておく必要はある。
EVの場合は、アクセルを緩めた場合に自動的に回生発電ができるような仕組みになっているのだろうか。昔の千代田線では回生ブレーキが効きすぎて乗り心地は最悪だった。EVも雪道モードを付ける必要があると思う。
当時、欧州車はマニュアルが普通だった。それが理由だろう。
マニュアル車はエンジンとタイヤが常に直結している。即ち、加速しているか、エンジンブレーキが掛かっているかのどちらかという状態にコントロールができるわけである。
加速しているときは常にタイヤから雪面に後ろ向きの力がかかる。そのため、坂道を登っているのと同様にスリップしにくい。(急坂ではスリップすることになるが、それ以外ではスリップしにくい。)
エンジンブレーキが掛かった状態とはどういう状態か。
これは、タイヤに前向きの方向(転がる方向と逆方向)に力がかかる状態である。即ち、車体の減速加速度による力が、シリンダー内のガス圧縮力に変換され、タイヤを通して雪面に前向きの力を与える状態になる。この状態も雪面にタイヤを押し付けていることになるのでスリップしにくいことになる。
これら二つの中間の状態、即ち、加速も減速もしない状態が一番スリップしやすい。それは平坦な直線路で行えばよい。
多分、このようなテクニックでノーマルタイヤの雪道走行が可能になっているのであろう。
幸い、今所有している車は、マニュアルモードが付いている。エンジンとタイヤが直結状態にできるはずである。今度雪道を走る際はマニュアルモードを多用しようと思う。
このような走行は氷結路ではどの程度有効なのだろうか。
以前、富士山の氷結路で、車体姿勢装置の付いた四駆のスタッドレスでスピンしたことがある。完全氷結の場合はどうやってもスリップするそうだ。
そのような路面では旭川市の市街地のようにスタッドレスでも、平坦地であっても低速走行する以外に解はないように思う。ただ、マニュアルならノーマルでもスリップしにくいとは思うが、交通違反になるので、スタッドレスでマニュアルというのが最適解ということだろう。
そのために、今からマニュアル運転になれておく必要はある。
EVの場合は、アクセルを緩めた場合に自動的に回生発電ができるような仕組みになっているのだろうか。昔の千代田線では回生ブレーキが効きすぎて乗り心地は最悪だった。EVも雪道モードを付ける必要があると思う。
最近のコメント