ウクライナ戦争の終結時期について2022年11月02日 04:09

 ある情報筋の話から、ロシアによるウクライナ戦争の終結時期は2023年6月ごろのはずである。
 これはあるプーチン大統領に近い筋が、2023年秋に国際的なイベントを計画しており、そのためには、遅くとも2023年春には西側を含む関係者がロシア側に入国できる環境を作る必要があるためである。
 このイベントの主催者がプーチン大統領の判断への影響力が強いことは分かってはいる。大きなイベントの開催の実施までに少なくとも半年の余裕は必要である。これらの状況から来年6月には、何らかの終結状況にあることが予想される。少なくとも私はその判断で今後の予定を立てるつもりでいる。

 先日挙げた、イスラムの教えに関する書籍によれば、イスラム教では、何事も神様の思し召しということで因果関係の存在には否定的だが、釈迦は、逆に因果の道理を説き、各人の行動が後で結果として現れるとした。受け身にならず、この世の中を生きていくには、仏陀の教えに従い、自己判断でウクライナ戦争の行方も判断するべきだということになる。

下りのエスカレーターが危ない理由2022年11月03日 03:47

 昨日、駅そばの下りエスカレーター降り口で年配の女性が転ばれた。
以前、知り合いが下りエスカレーターで転び足を痛めたこともある。
 なぜ、下りエスカレーターが特に危ないのか。

 理由は単純である。地球の重力加速度のためである。

 ガリレオの発見により、地上の物体は常に下方向に9,8m/秒の加速度を受けることが知られている。即ち下向きに力が加わっている。
 一方、下りエスカレーターでは、エスカレーター自体が下方向に移動している。即ち、下り速度が1m/秒であれば、加速度、即ち下方向への力は約10%減少する。もし、9.8m/秒であれば、宇宙空間と同じ自由落下になる。
 通常、このような下りエスカレータでは、約10%下方向への力が減るのだが、降り口では、いつもの地上での重力に戻る。この瞬間が危険である。足の筋肉の弱い方は、瞬間的な10%重力増加に耐えられず、転んでしまうのである。
 従って、降り口では、足に力が加わることを予測して、足を緊張させて踏み出す必要がある。

 この下りエスカレーターで足が楽になる現象は、山スキーで実感できる。(最近では山ボード)
 昔、北アルプスで約30キログラムのザックを背負い、新雪の中を滑ってきたことがある。通常のスキーなら緩斜面のほうが滑るのが楽なのだが、その時は、なぜか急斜面になるほで楽に滑れるのである。
 後で気がついたのだが、これは、急斜面ほど自由落下に近づくので、荷物の足への負担が減ったためであろう。
 しかし、最後の平坦地で止まろうとしたときは、足に体重と荷物の荷重が加わり、耐えられず大転倒をしてしまった。上記の下りエスカレーター降り口での出来事と同様の事を半世紀前に経験していたのである。反省すべきことである。

AIを信じるよりは神を信じたほうが良いわけ2022年11月04日 06:11

 宗教学者島田祐巳氏の著書「AIを信じるか、神(アッラー)を信じるか」(祥伝社新書)で、AIと神を対等においているようなキャッチャーなタイトルにしたのはせっかくの内容を貶めているようにも思える。
 哲学者は命を張って世間に主張をするそうだが、宗教学者もそうなのかもしれない。かつて、日テレの番組「知ってるつもり」の最終回では、キリストを大工の息子と断じて放送していた。私もキリストの復活場面を生物学的な仮説で説明しようとしたら、ネットから危ない反応があった。
 イスラム教徒にもいろいろな方がおられるはずである。

このキャッチャーなタイトルに対し、大人気はないが、反論してみる。

 AIを神のように信じてはいけない理由は、以下のとおりである。
(1)スピノザによれば、神は根本原因であり、宇宙の影響は受けない。
しかし、AIを司る半導体のプロセッサは、宇宙からの放射線で誤作動を起こすことがある。
(2)神は誤りを犯さない。しかし、INTELのプロセッサとAMD(RYZEN)のプロセッサ(特に64ビット版)では、全く同じアルゴリズムにも関わらず、計算結果に0.1%程度の差を生じる。これは、外部環境とは関係なく、どちらか、あるいは両者が誤っていることを証明している。
 
 この程度で十分であろう。人間が制作したものが神と比較できるはずはない。

注)聖書もコーランも人間が作ったものだから、これらを信じることと神を信じることは別物であることには注意する必要がある。

ヒトはなぜ躓くのか2022年11月05日 18:44

 ヒトはなぜ躓くのかーと言っても、人生論ではない。知人がジョギング中に躓いて、手術を受けるようなケガをしてしまった。
 その物理的、身体的メカニズムを我が身を振り返って分析してみる。

 振り返るに、躓くときには地表にわずかな凹凸があるのが普通であるが、脚が達者な年代では躓いた記憶はない。
 躓くためには2本の脚が必要である。片足ならば、ケンケンすれば、躓くことはまずない。
 歩くとは、片足づつ交互に地面を踏みしめ、踏みしめた反対の脚を前にだすことの繰り返しである。
 踏みしめた際に踵が上がってないと、反対側の脚は一般には地面をすることになる。
 これは、両足の長さが同じならば当然のことである。
 しかし、多少踵を上げられても、時々躓くことがある。それは、一般に長いほうの脚である。ヒトの脚の長さは左右同一ではない。 
 この際、重要なことは、左右の脚の長さを揃えることである。手術をしなくても、靴の中敷きを100円ショップで一足分購入すれば、ほぼOKである。短い脚のほうの靴の中敷きにすればよい。片足分で足りなければ、逆足側の中敷きを裏返して入れれば一足分で5㎜以上の長さを調整できる。

 次に、根本的な問題として、踵が十分に上がっていないという点である。どうしても、踏みしめる側の足のかかとを上げられない場合の対策として、踏み出す側の足のつま先を多少上向きにすることである。踏み出す側は宙に浮いているので、上向きにするのに大した筋力は要らない。これにより、少なくとも前のめりの躓き方はしなくなる。
この代用として、靴底が前後方向に丸まった(つま先とかかとが浮いている)形状の靴を使うこともあり得る。

 最終的には、踏みしめる側の足のかかとを常に上げるような歩き方をすればよいのである。
 反発性のあるジェルが踵側に仕込まれているような靴を探してみることも考えられる。
 即効性があるのは、自分の身長を高く見せるよう努力しつつあることであろう。
 身長を高く見せるということは、踏み込む側の足のかかとが自然に吊り上げるような歩き方になる。姿勢も良くなって一石三鳥になるだろう。

ヒトはなぜ滑るのか2022年11月07日 02:53

 これも、前回に引き続き、試験に落ちたり、スキーやスケートボードなどで滑るという話ではない。単に、歩いているときに滑って転ぶのはなぜかという話である。ヒトは躓いても転ぶが、滑っても転ぶ。前者は前方に転び、後者は後方に転ぶことが多い。
 一昨日、知人の躓きの検討をしていたら、昨日は自分が斜面で滑ってひじを打ってしまった。恐るべき偶然の不一致である。

 滑る原因は、足裏と地面との摩擦が喪失することが殆どである。他には、接触面積が少なすぎる場合、接触面の鉛直方向との角度が大きい場合、即ち、急斜面の場合などに摩擦力が荷重による圧力に耐えられない場合である。

 なぜそうなるのか。原因は2つある。
(1)接触面の摩擦係数が小さい。
 今回の場合、地面がコンクリートで苔が薄く覆われた上、側面から水が流れており、サマージャンプのシャンツェ状態だった。
(2)斜面である。
 平面でも滑ることは滑るが、横方向にはヒトが意識的に力を加えない限り大きな力は働かないのでほぼ滑らることはない。しかし、わずかでも斜度があると、重力の効果で受動的に滑ることになる。

 では滑らないようにするにはどうするか。
地面表面に滑りやすい物質(水、苔など)がある場合には、その表面物質を突き破って、地面に到達できるような方策を靴底に付けるのが簡単である。即ち、車のタイヤであれば、金属チェーンの装着である。
 靴底用のチェーンというものは札幌などでは一般的である。問題は、ふだん履きの靴底にそれを付けられるかということである。スタッドレスタイヤ用のゴムでできた靴底の靴があれば、購入したいところである。接触面の水を排除して、滑りにくくしてくれるだろう。
 次の重力対策であるが、体重を軽くする、即ちダイエットをするのが良さそうだが、それが一番難しい。従って、次善の策としては、荷物を軽くして重力を減らす、又は、バルーンを背負って、地表への荷重をできる限り減らすなど、ほぼ、実現困難な方策しかなさそうだ。

 現実的な解決策としては、
(1)片足に乗らない。できるだけ両足に均等に体重がかかるような歩き方をする。例えば小股で細かいステップで歩く。前足が滑るかどうかを感じつつ、滑った感触があったら、その前足に体重を載せるのを中断するという歩き方である。
(2)前方を注視する。今回これを怠り、友人と話しながら歩いていてこの災難に会ってしまった。兼好法師を読み直さないといけない。
(3)片足でも滑っていけるようにする。滑ること自体は実は問題ではない。そのまま滑っていけるなら、転ばないで済むからである。昔々、オリンピック選手だったトニーザイラーは、映画「白銀は招くよ」の中で、山の中でスキーの一方を失ったのち、麓を目指し片足だけでどこまでも滑って行った。前方に崖などがなければそれで転倒を防ぐことが可能だ。或いは両足で滑っていく方策もある。
 いずれにせよ、瞬間的なバランス感覚と脚力が重要だ。今回、一瞬バランスを持ち直したのちに、耐え切れずに転倒したため、一応、受け身の体勢が取れて、大けがには至らなかった。
 この方策を実際に適用するには、普段からバランス感覚と脚力を鍛えておかなければならない。やはり、山スキーは続けることにしよう。
 以上、反省と教訓の一日でした。

ベランダを登った方法について2022年11月07日 20:59

 幼児がマンションの高層階のベランダから転落して亡くなった。ご冥福をお祈りいたします。

 現場の写真を見ると、ベランダの柵は2歳児の身長(約85cm)よりは十分高い。気になるのは、我が家にもある洗濯物干し用の支柱である。
2体の支柱が数メートル離れて設置されており、支柱には孔の開いた板状金具が垂直方向に回転できるように取り付けられている。量子中の板状金具を手前に持ち上げ、孔に竿を通して洗濯物を干す仕掛けである。
 問題は、使用していない状態の時である。この板状金具は、折りたたむことで、下向きとなる状態で、支柱の横に収納される。しかし、完全に支柱の中に納まるのではなく、側面にむき出しのままの配置となる。即ち、物干し竿用の孔は、地上50㎝程度の位置に配置されることになる。
 幼児がこれを見て、手や足をかけて登ることは十分可能な構造である。
 今後も同じような事故が起こる可能性はある。
早急にこの物干し用支柱の構造を幼児が登れない構造に変更する必要がある。例えば、竿用の孔がある板状金具が支柱内に完全に収まるような構造にすれば済む。当面は、応急措置として、孔の部分を隠すように硬い板を取り付け、幼児には外せないように縛って固定しておくことが考えられる。
 この物干し竿支柱の設計者は、幼児の行動への想像力を欠いたものだったのだろうと言える。なんでもそうだが、設計基準を守ってさえいればよいというものではない。重要なのは自然と人間への想像力だろう。(年寄りの後付けでした。)

非結核性抗酸菌症と低温入浴法の相関について2022年11月08日 06:05

 非結核性抗酸菌症は、肺内で抗酸菌が増殖し、肺機能を徐々に侵食する病気であるが、近年、増加の一途をたどっている。医療研究開発機構の報告では、最近の患者数は結核患者に匹敵するようである。また、治療法は確立していないようで、複数の薬の長期間の服用と種々の検査が必要である。
 
 この抗酸菌は、水や空気の中に普通に存在しているが、最近特に中高年の女性の間で増加しているらしい。
 屋内では、特に浴室に存在し、バスタブ、給湯やシャワーヘッドなどで検出され、すでに、患者との相関も報告例がある。

 ここで思い出されるのは、一時流行した24時間風呂である。あれも感染症に関係するとの話が広がり、急速に流行は終焉した。
 近年、健康情報で、長時間低温風呂に入るのが、健康増進に効果的だという話が特に女性には受けているようだ。確かに、副交感神経のバランス増進には有効のように思う。

 しかし、問題は、低温風呂における、最近の増殖とその吸入の可能性である。
 この種類の抗酸菌を吸入しないようにするには、低温浴の前に、浴室内をできるだけ清潔にし、菌の付着個所を低減するとともに、一旦湯温を50℃以上にまで高温にして、死滅させた後低温浴をするという手順を踏むことが必要だろう。

日ハム新球場と福島第一発電所の共通点と相違点2022年11月09日 08:30

 日本ハムの新球場のホームとバックネットの距離が、公認野球規則よりも短いことで議論を呼んでいる。
 本日の朝日新聞によれば、日ハムが新球場をアメリカの設計会社に依頼し、そのまま建設されたとのことである。米国では、観客の臨場感を重視し、野球規則は柔軟に解釈しているそうだ。
 日本側はだれもチェックしなかったのか、或いは、問題に気が付いたが、改修は影響が大きすぎるのでそのままになったのか、謎ではある。
 これに比較的似ている話は事故を起こした福島第一原子力発電所である。この原発では、事故時に崩壊熱を徐熱するための非常用電源設備が地下に配置されていた。これは、米国で良く生じる竜巻対策のため、安全設備を地下に配置したもののようだ。それを1960年代当時、米国の技術導入でそのままの設計で福島に建設したとのことである。
 当時、日本側の建設の責任者であった土光敏夫氏は設計チェックを申し入れたが、米国側に設計を変えるならば輸出しないと言われ、電力は米国の配置設計のまま導入せざるを得なかった。地下配置の場合には、津波の海水を被った場合、水が容易に引くことはない。これが福島事故の主要因だった。
 しかし、この津波対策はその後実行に移されることはなかった。改修に関わる費用など非常に影響が大きかったのである。
 日ハムの新球場も改修されることはないだろう。費用の問題に加え、設計が米国の本場の会社であることも影響している。
 
 技術導入では、日米の地理的環境の相違が悲劇的な結果となったが、野球場の場合、日米の文化的状況の相違はどのような決着となるだろうか。プロ野球選手はこの程度の差は技術で吸収してくれることを期待したい。

紫外線と電離放射線の人体影響比較2022年11月10日 05:13

 紫外線照射ランプの効能書きによれば、UV-Cの吸収により、O2分解化学反応によるオゾン(O3)、及び、紫外線の直接的な殺菌作用により、ウイルス及び細菌が分解されることになっている。
 即ち、代表的な活性酸素であるオゾンによるDNA分解、及び、紫外線の直接作用によるDNA分解である。

 これはちょうど、電離放射線であるガンマ線の生体影響やがん発生メカニズムに関わる、細胞中の水分子分解による活性酸素の生成、及び、DNAの直接的分解に対応する。

 紫外線も電離放射線も同じ電磁波なので、多少エネルギーレベルは異なっても同じような影響を及ぼすのは理解できる。ただし、ガンマ線は生体内部まで到達するが、紫外線は生体表面で皮膚がんを生じる程度であることの相違はあるだろう。

 では、どのように使い分けができるだろうか。
 紫外線は水中では急速に減衰するので、空気中での利用が効果が上がる。すなわち、酸素の分解によるオゾンが活性酸素としてDNAを分解する効果である。
 ガンマ線は水中でもある程度深く侵入できるので、生体内部でも活性酸素を生成できる。これががん治療にガンマ線が用いられる理由である。

 即ち、活性酸素を利用する殺菌法は紫外線なら空気中の殺菌が有効であり、ガンマ線なら水中、生体内部での殺菌に有効であるという使い分けが考えられる。

 次にこれらの電磁波は直接DNA鎖を分解することも可能である。
 ただし、DNAは細胞内では水の1/10000程度しか存在していないので、活性酸素による殺菌よりは寄与は小さい。すなわち、直接影響を及ぼすには高強度(光子密度が高い)の紫外線、ガンマ線が必要となる。
 
 どの程度の強度が必要かは、細胞サイクルの長短に強く関係する。
細胞サイクルとは、細胞が分裂、増殖するための必要時間である。一つの細胞が2つの細胞に増殖する際には、DNAの2重連鎖の分離、複製、細胞膜の形成といった一連の生体活動が必要だが、その各ステップごとにその活動が正常に行われているかチェックする仕組みが細胞自体に備わっている。そして、異常があれば細胞自体の免疫作用で正常な細胞となるように修復活動を行う。電磁波でこの活動を阻害しようとする場合、この修復活動が間に合わない程度まで強力な(光子密度が高い)電磁波を与える必要がある。
 細菌やがん細胞の場合は、もともと増殖活動が活発、すなわち、平均的な細胞サイクルの時間が短いので、比較的低強度の電磁波で分裂活動を停止できる。
 ただし、目や皮膚などの健全細胞はがん細胞ほどではないが、分裂活動は比較的活発なので、低強度でも影響を受けやすい。
 これが紫外線を目や皮膚に受けないほうが良いといわれる根拠である。
 即ち、紫外線による直接的なDNA損傷を避けるには、生体の表面細胞を保護する必要がある。一方、ガンマ線による影響を避けるには、高強度のガンマ線(時間線量率の高いガンマ線)を避ける必要がある。すなわち、原爆や太陽フレアなどによる瞬間的な被ばくである。
 
 したがって、よく殺菌用に用いられるUV発生器については、皮膚表面のみ薄い樹脂(プラスチック等)で保護すること、及び、オゾンを取り込まないこと(肺胞や目の表面細胞の保護)が重要となり、ガンマ線照射については、瞬間的な高強度被ばくを避けることが重要である。

 ただし、これらの制限値については、未だ、明確な値は揃っていないので、自分の感覚(オゾン臭さ、日焼けによる皮膚表面の痛み、高強度被ばく時の高濃度活性酸素による疲労感、体内感覚異変)に頼るのが一番であろう。(生体内の活性酸素は、新陳代謝による生成がほとんどなので、ガンマ線照射で通常とは異なる多量の活性酸素が発生すると異常な疲労感を感じることになる。)

赤は進め、青は止まれーは横浜でも言えるのか2022年11月11日 04:06

 青森に居る知人の話では、青森では「赤は進め、青は止まれ」というのは常識だそうである。
 道が凍るので、信号が赤になっても強いブレーキはかけずに惰性で交差点に進入したほうが良い、ブレーキによるスリップのほうが危険だからである。従って、交差する道の車は信号が青になっても暫く止まったまま、横からの侵入車が無いことを確認するーということである。青森では、スタッドレスがよく利くとは限らないほど完全凍結した道も多い。

 最近、道が凍っていない横浜の幹線道路で、2日続けて、この警句を実証する危険な出来事を経験した。
 1回目は、環状2号と横浜上麻生線の交差点である。夜7時であり、すでに暗くなっていた。私は環状2号の右折車線におり、右折信号がでたので、右折を開始したのであるが、その瞬間、交差する上麻生線側からバイクが飛び出してきて、目の前を通り過ぎて行った。その瞬間、ブレーキを2度踏みし、衝突、追突を防いだ。あと0.5秒、右側からのバイクに気づかなかったら悲劇的な事故になっていたであろう。バイクの速度は既に30キロにはなっていただろうから。
 バイクは赤で飛び出し、私は右折青信号で右折を始めたが、青信号では進むべきではなかったということになる。

 2回目は、翌日の新横浜通りでの出来事である。新横浜通りは片側2車線あり、中央線がわの車線を走っていたが、目の前の小さな交差点の信号は赤になった。その交差する道には横断歩道があり、脚の不自由な歩行者が渡り始めた。脚はかなり遅く、横断するには時間がかかる。その歩行者が横断歩道を1/3ほど渡った時点で、新横浜通り側の信号は青になってしまった。そのため、私はブレーキを踏みしめたまま、その歩行者が渡りきるまで待つことにした。対向車線の車も青信号にも拘わらず、停車を続けていた。
 その瞬間である。左側の車線を猛スピードで交差点に進入しようとする車が来た。私はクラクションを鳴らし、前方への注意を促そうとした。その車は、交差点内で右側車線側にハンドルを切ったため、横断歩道上の歩行者にギリギリ近づいて通り過ぎて行った。
 クラクションを鳴らしたことが良かったかどうかは分からない。ハザードランプを付けておいたほうが良かったかもしれない。いずれにせよ事故には至らなかったが、横浜においても、青信号であっても進まないほうがよいという例であった。

 要は想像力の問題である。AIのほうが、ヒトより想像力はあるのかもしれない。しかし、AIでは基本的に感知できるものを判断材料にしている。見えない歩行者をどこまでAIがアルゴリズムにとりいれられるのか。プログラマーの想像力に期待したいところだ。この2日目の例の場合、左車線の侵入車からは脚の悪い歩行者は私の車の陰におり、交差点手前ではカメラの死角に入っていたのだから、交差点内で急ブレーキをかけても間に合わなかった可能性もある。

 当面は、青森のこの警句を、横浜でも念頭に置いて運転するべきだろう。特に高齢化社会では今まではあり得ない道路状況も生じ得る。また、歩行者、運転者ともに認識力、想像力は劣化しているのだから。