コロネ社会の生き延び方2021年09月10日 08:39

 コロネ社会、美味しいチョココロネでも楽しいごろ寝でもない、コロナとネットが世界を支配する社会という流行りそうにない造語である。
 コロナとネットのストレス翻弄されるこの社会をどう生き延びていくか。
目に見えない2つの敵、世界中のだれもこの恐怖から逃れられないストレス社会。どのようにのびのびと生き抜いていけるのだろうか。
 
 コロナとネット、この二つの共通点は放射線と同様、目に見えないものであり、対処の仕方が良く分からないし、人体影響もよくわかっていない歴史上もあまり経験がない事象である。放射線ならば浴びないように注意すればよいという極端戦略も不可能ではない。(医療用放射線は命にかかわるから、がん治療のような環境基準の1000倍もあるような大量被ばくもあきらめざるをえないが、基準を超える低線量被ばくでがんになると言われ、その1000倍もの高線量でがんが治るというパラドックスも基準の決め方が科学的ではないという一例ではあるが。)
 
 極端戦略として、ネットなら、コロナ以前であれば「私はアナログ人間です」と知らないふりをしていても生存への影響はさほどなかった。しかし、いまや、ネットでワクチン予約ができないと命に係わる時代である。
 即ち、コロネ社会以前なら、一切かかわらないようにするといった極端な戦略で問題なく対処できた問題が、そのようなことをすると生身の生存に関わる事態となっている。

 コロナ対応の極端戦略としては、可能ならインド沖に浮かぶ一切外界との接触を断った北センチネル島の住民になればよいだろう。しかし、受け入れられる前に殺害される確率の方が高そうだ。

 それで、仕方なく、極端戦略の真逆の完全中庸戦略をとることを考えてみた。 (中庸を重んじる人間がこんな変なブログを書くはずはないという声も聞こえそうだ。)
 
即ち、すべての行動を、できるだけ、世間のもっとも平均的又は最確的な点に合わせて生きるという戦略である。
 対コロナに対しては、ワクチン対応も、外出行動も、運動も、もっとも平均的といわれている行動に合わせれば、少なくとも日本人の平均寿命には達するのではないか。
 対ネットに対しても、ほどほどにお役所の情報に対応できる程度の知識と操作能力を身に着けるといった対応である。

 もちろん、ネット技術に対しては多少の勉強と機器が必要だろうが、平均的日本人なら十分対処できるはずである。問題は、混乱時であるが、それも多くの関係者が同時に巻き込まれるのだから、死なばもろともということで平均寿命は達成でき、それでよしとしなければならない。

 ただ、問題は何が平均的な行動なのかが現在のコロナ感染やワクチン接種状況、医療状況あれ、ネット状況であれ、分からないことだらけなのである。
 
 国には国勢調査や統計データを扱う専門部署がある。デジタル庁も活動開始したようだ。ぜひ、統計処理能力を最大に活用し、コロネ社会での真に平均的な行動とは何かを詳しく迅速に広報してもらいたい。

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