AIと冤罪2021年09月23日 10:17

 半世紀前に読んだSFに、ある中学生が殺人犯として逮捕され、宇宙にある刑務所に収容されるというものがあった。当時、DNAというものはよくわかっていなかったが、コンピュータがその中学生を犯人だと断定し、冤罪を着せられて島流し(宇宙流し)になったという話である。コンピュータが犯行現場を分析し、その痕跡からその中学生固有の生物学的情報を検出したことが動かぬ証拠となったのである。このSFでは、真犯人はその証拠を出力したコンピュータの操作技師だった。
 このSF小説を読んだ時から半世紀がたったが、現実の世界で似たような冤罪事件が起こっている。有名なものでは、足利事件がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E4%BA%8B%E4%BB%B6

和歌山毒物カレー事件も、唯一の物証といわれていたヒ素が、カレーに入れられたヒ素と死刑囚宅から見つかったヒ素とが、完全には一致していないとの鑑定結果がでている。冤罪の可能性が強まっているように思える。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%AD%8C%E5%B1%B1%E6%AF%92%E7%89%A9%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%BC%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 これらの判断はいずれも、関係した裁判官が科学的鑑定といわれるものを鵜呑みにしたために生じたものであろう。さらに様々な状況証拠が有罪判断を裁判官の心中で補強したのだろうが、言い訳でしかない。
 
 最近はやりのAIによる本人確認の判断はさらに、複雑な要素を含んでいる。多数のデータと複雑なアルゴリズムの組み合わせにより、だれもが他人と判断される可能性を有する。このようなことは統計論にもとづくAIデータ処理では避けられないものだと思う。
 ただし、AIは多数のデータの蓄積により、効率的に正しいと思われる判断をすることで、より良い選択を瞬時に低コストで行えるので、人類の幸福に寄与するものでもある。

 しかし、AIは、運の悪い、或いは平均から大きく外れた人々には有害なものとなる可能性も持っている。
 例えば、殺人事件の起こった現場のカメラの映像や残されたDNAなどから、AIを活用した操作では、だれもが犯人になる可能性があることを上記の歴史が教えてくれる。

 では、どうするか。
 少なくとも人の命にかかわるAI判断については、採用を保留する必要がある。
 例えば、上記のような冤罪が科学技術の結果として判断されたとしても、間違いの可能性が必ずあるのだから、死刑という取り返しのつかない制度は廃止すべきであろう。死刑廃止は、長い科学技術の歴史を有する欧州諸国の大勢になっている。
 AIをどう扱うか、政治家やジャーナリストなど影響力の強い人々の科学リテラシーを向上して、冤罪などでの不幸な出来事を防ぐ努力をすべきである。
 主要全国紙の記事ですら、物理量を表現する際に、その単位の使い方を間違えたり、曖昧であったりすることをよく見かけるのである。

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